米国はボルカー・ルールを撤廃せよ(社説)
意図に関する判断を必要とすることは、法律としての欠点にはならない。
意図に関する判断を必要とすることは、法律としての欠点にはならない。激情で殺害に至ることと計画的な殺人の区別は十分に役立っている。だが、他に比べて読み取りにくい意図もある。自己勘定取引と値付け業務の違いを分ける意図の見極めは、往々にしてほぼ不可能だ。このため、銀行に値付け業務を認める一方で自己勘定取引を禁ずる米国のボルカー・ルールは、効果が疑わしい厄介な規制となっている。
トランプ政権と議会共和党は、このルールを撤廃しようとしているようだ。それは良い考えであり(極めて重要な考えとは言わないまでも)、撤廃に反対することは、金融危機後の金融改革のより重要な部分を守ることの妨げになりかねない。
ドッド・フランク法(金融規制改革法)の一部分であるボルカー・ルールは、銀行が預金者のお金を自己勘定で高リスクの取引に使うことを防ぐために定められた。つまり、取引に失敗して損失を負った銀行が政府に救済を求める可能性を低めるためだ。その一方でボルカー・ルールの策定者らは、預金を取り扱う銀行が顧客のために市場で取引をするのは認めることにした。値付け業務には、証券の在庫を短期間あるいは長期間、持つ必要がある。そのため、銀行は正味債権額を抑えるためのヘッジ取引が必要になる。結果的に活動がとても複雑になり、しばしば投機と顧客サービスの区別がつかなくなる。
ボルカー・ルールに対する最も一般的な異議は、債券市場にストレスがかかった時に流動性の低下につながるとする指摘だ。この議論によると、ルールが曖昧なせいで、銀行は在庫の保有をためらいがちになる。したがって、市場が圧迫されれば、銀行は売り手と買い手を効果的に結びつける仲介人として行動できなくなるという。この議論は決定的ではない。ボルカー・ルールの導入以降、様々な研究がなされている。これらの研究は、格付けの引き下げや債券価格指数の構成の変更というストレスに着目し、流動性の低下を確認している。しかしながら、穏やかな混乱の中での銀行の取引姿勢は、危機における市場機能の代用指標としては不完全だ。2008年にはボルカー・ルールはなかったが、多くの債券市場で流動性の低下が起きた。証券の根本的な価値に本物の不確実性が生じると、値付け業者は他の全員と同じように引き下がるのだ。
効果を生んでいないなら競争の促進を
しかし、ボルカー・ルールの撤廃にはそれよりも強い論拠がある。金融危機以降の大幅な金融規制の増加で、コンプライアンス(法令順守)は困難で費用のかかるものになった。それが最大手クラスの銀行に競争優位をもたらす逆効果を生んだ。費用を巨大な事業に分散できるからだ。従って、金融規制が効果を生んでいないようであれば、競争の促進が規制撤廃の論拠になる。しかも、一部の銀行による自己勘定取引の問題は迫り来る危機で最初の兆候の一つではあったが、それが危機を引き起こしたのでも、大手銀行に倫理的な害悪をもたらしたのでもないのだから、撤廃論はなおさら正しいことになる。
最も重要なのは、資本要件の引き上げ、危機時に間違いなく銀行を守るより単純な形の規制、そしてボルカー・ルールの健全な効果を部分的に複製することだ。資本に対する高リスク証券の重みのせいで、自己勘定取引は非経済的になる。ボルカー・ルールが適用されない欧州の銀行も取引活動を抑えたのは、この理由からだ。
ボルカー・ルールは、強力な金融規制に肩入れする議員らにとって有用なポーカーチップ(あるいは、いけにえのヤギと言ってもいい)にもなりうる。資本要件の維持、望むらくはその強化に対する政権の強い関与と引き換えに、ボルカー・ルールを差し出せる。政治的摩擦という状況の中で、それはウィン・ウィンの提案になるだろう。
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