新年の抱負は「仕事のメール中毒を断つ」
1月は中毒を断つ新年の抱負を立てるときだ。
1月は中毒を断つ新年の抱負を立てるときだ。お酒を断つ、食べる量を減らす、これまでほど頻繁にフェイスブックやツイッターをチェックするのをやめる等々。だが、もし中毒が集団的なもので、ほかの人がまだ乱用している間は一個人で断つことができないとしたら、どうか。
その典型例がメールだ。今週施行されたフランスの法律がそう認めている。新法は従業員がスマートフォンに出てメッセージに返信しなくてもよい時間帯について、大企業に労使交渉を義務付ける。これにより従業員に「つながらない権利」を与えることを意図している。タイムカードを押して工場から退勤する行為のデジタル版を約束するものだ。
一人メールを無視するのは難しい
週35時間労働制を敷いたフランスだ。同国によるこの統制的なアプローチにケチをつけるのは簡単だ。専門職にとっては、オフィスから出ても連絡を取れることは、恩恵になり得る。上司に呼ばれる場合に備えて漫然と職場に残らざるを得ないよりはましだ。それに時差の問題はどうか。香港のスタッフは、ニューヨークからの迷惑なメールを無視できるべきなのか。
だが、フランス政府は2つの重要な点で正しい。第1に、メールのほか、社内ソーシャルメディアからスラックなどの対話アプリまで、さまざまな形態のデジタルコミュニケーションは有害な形で仕事と私生活の境界線を損なうことがある。第2に、これは集団としての課題だ。ほかの人間がメールを送り続ける限り、一個人がメールを無視するのは難しいからだ。
企業と従業員は、メールや、グローバル電話会議などの無秩序なデジタルコミュニケーションに共に依存しており、目に見えない形で時間が無駄にされている。多くの場合、最悪の常習犯は企業自体ではなく、勤務時間表に表れないような形でスタッフの時間を浪費する、権力欲に駆られた中間管理職だ。
公害と同じように、こうした習慣は集団的代償を伴うが、容易に把握できるコストではない。直接影響が及ぶのは、寝ているとき以外、仕事について考えるのをやめない個人だ。絶え間なく、常にオン状態のデジタルコミュニケーションはその性質上――メールはいつでも受信ボックスに飛び込んでくる――意識のスイッチを切り、休養を取ることを難しくする。
仕事のメールはひどい形の中毒だ。というのは、ソーシャルメディアへの投稿といったほかの種類のデジタルコミュニケーションとは異なり、大した楽しみを与えてくれないからだ。人はインスタグラムやピンタレスト、スナップチャットなどで時間を使いすぎたことを後悔するかもしれないが、こうした行為は気晴らし、娯楽、戯れ、自慢、友人との交流といった形で見返りを与えてくれる。
メールによる仕事の中断、取り戻すのに1分
メールはむしろ義務のようなものだ。情報を共有する輪に入っていたければ、メールを読み、受領を確認しなければならない。ある調査では、職場ではメールの70%が6秒以内に開封され、受信者はメールに1回仕事を遮られるたびに、完全に集中力を取り戻すまでに1分かかることが分かった。2017年には日々1200億通の業務メールが送受信されると見込まれることを考えると、これは膨大な量の業務の中断だ。
メールの習慣が勤務時間外にまで及ぶと、仕事と私生活の分け目がなくなることは極めて有害になる。異なる業界に属する約300人の従業員を対象とした別の調査では、比較的うまく対処している人もいるものの、仕事から離れられないことが一部に「慢性的なストレスと感情的な疲労」をもたらしていることが分かった。
大半の雇用主は、手に負えなくならない限りは、管理職と専門職にストレスをかけることをいとわない。多くの「ハイパフォーマンス」職場は、このような営業が設計されている。だが、仕事から離れるのを許さないことで生じる慢性的な過労は、生産性に明白な影響を及ぼす。疲労し、興味を失った従業員は、生産性が低いのだ。
これは分かりきったことに聞こえるかもしれないが十分に裏付けられた事実でもある。第1次世界大戦中の英国の軍需工場労働者を対象にした研究では、ある週に労働時間が過剰だと、翌週に生産性が下がることが分かった。最近では、就学前の子供を教えるドイツの教師は、週末に休みを取ったほうがクラスで機嫌が良く、効率が高いことが分かった。
生産性低下のコストはいずれ跳ね返る
仕事を制限することは、以前は難しくなかった。単に短いシフトにすれば済む話だった。継ぎ目のない中毒的な性質を持つデジタルコミュニケーションは、仕事の制限を難しくする。だが、デジタル中毒に関する著作「Irresistible」(注:「あらがえない」という意味)を近く刊行するアダム・オルター氏の言うように、企業が「ソーシャルメディアとテクノロジー中毒がいかに有害になり得るか」と認識することは無視できない重要事項だ。
フランスの新法は、企業と従業員に自分たちにとって適切な解決策を編み出すよう要請している点で、うまく設計されている。一部の組織は高度に分散されており、物理的に監督されずに仕事を段階的に進めることを好む自発的な専門職を大勢雇っている。もしメールのおかげで彼らが自宅で効率的に働けるのであれば、メールを遮断するのは愚かだ。
だが、メールはいとも簡単に集団的な中毒になってしまう。一部の経営幹部にしてみると、夜遅く、恐らくは子供がベッドに入った後に大量のメールを送るのは都合がいいが、返信を期待される方にしてみれば、その同じメッセージが中断を余儀なくさせる状況を生み出す。ストレスは従業員にかかる。そして生産性低下のコストはいずれ、段階的に雇用主に跳ね返ってくる。
態度を一斉に改めようという新年の抱負は、集団と、個人の誓いと、三日坊主という点で変わらないかもしれない。恐らくは、個人の抱負以上に長続きさせるのは難しいだろう。だが、決意することは、最初の一歩だ。
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